大学教授の不思議な夢

アメリカのペンシルベニア大学のハーマン・V・ヒルプレスト教授は、夢の中で解読した古代バビロニアの碑文を手がかりに、古代史の謎を解き明かしたことで知られています。


それにしても当時の模様を再現すると、それはまさに奇跡的な事実だった窮です。


1893年のある日、ヒルプレストは夜遅くまで研究に没頭していました。


璃璃の2つの小さいかけらに描かれた模形文字を解読しようとしていたのです。


しかし、なかなか解読できないまま時間だけが過ぎていき、明け方近くになっていました。


ここでヒルプレストは羽毛 布団のなかで深い眠りにつき、あの「奇跡の夢」を見たのです。


「古代バビロニアの神殿にある宝物殿に導かれて、私は天井の低いある部屋に入った。


そこには木製の櫃があり、床に瑞璃や青金石のかけらが散らばっていた。


ここに案内してくれた神官が私に次のように告げた。


『クリガルズ王(前1300年ころ)は神殿にさまざまな珊璃や青金石の品々を奉納したが、その中には珊堰製の円筒印章も含まれていた・・・。」

とある断眠実験 2

このような嗜眠のひどいイヌの脳脊髄液をとって正常犬の第4脳室に注射すると睡眠が伝染すると発表して、人をおどろかせました。


それから、クレイトマンも12匹の仔犬を使って、48時間から228時間にかけて断眠し、同時に詳しい生理学的観察をしましたが、共通してみられたのは赤血球数の減少(25パーセントにおよぶ)でした。


断眠が3~4日間つづくと、犬は周囲に対して無関心になり、光を恐れて暗闇に逃げかくれ、だんだん嗜眠がひどくなって筋力が弱まり、前肢を折りまげてうずくまるようになります。


そこで実験を中断して熟睡させると、10匹は次の日すっかり回復しましたが、2匹は昏睡状態のまま死亡しました。


断眠犬の病理解剖をしてみると、脳の変化は一定せず、対照実験に使った正常犬の脳と同じであったといいます。


要するに昔考えていたように、断眠によって動物が死ぬかどうかは大いに疑問があります。


これには羽毛 布団 販売をしている睡眠のプロである会社も同意見です。


死ぬのは不眠そのものの結果でなくて、眠らせないための実験手技(犬をひどく、また、長くつついたり、連続して歩かせるなど)による衰弱の結果であろうと推測されています。


しかし、この点では個体差が大きいですね。


とある断眠実験

イヌたちは体温が下がって、それぞれ9日、13日、それから17日目に死んでしまいました。


しかし、解剖の結果では、貧血も脳血管の出血も示さなかったといいます。


その代り、大脳皮質、ことに前頭葉の脳細胞の病的変化が見つかったのです。


この実験は羽毛 フトンでの睡眠にとても役立つものです。


その後ある博士も、木箱の内面にたくさんの尖った釘を打ちつけ、その中にイヌを入れ、このようにして断眠されたイヌの大悩こ同柔の細泡変ヒを見出しています。


しかし、この問題について1番大きな彼らは20匹のイヌを使って30時間から505時間にわたる断眠実験をしました。


その期間中イヌはみな元気活発で、よく食べ、血液、血圧、脈搏、呼吸数や体温には変化がなかったのです。


ただ筋肉の緊張度が低下して、頭がダラリと垂れ下がりました。


イヌが嗜眠状態になったときに発して解剖してみると、脳の一定部位(前前頭葉皮質の深部)の神経細胞の変性が見つかりました。


この変化はイヌの嗜眠の度に比例しますが、イヌが1度ぐっすり眠ると、あとかたなく癒るといいます(可逆性変化)。


不眠症の見分け方

過去何年間もほとんど寝ておりません、と言いながら、血色がよく、食欲旺盛で、仕事の能率のよい人がいます。


これは明らかに第2種の不眠症で、しかも実際以上に不眠を恐れ、自己の故障を過大に感じる不眠ノイローゼです。


こうした人々に限って「これほど羽毛 ふとんで眠れなければ内臓がおかされて、死ぬのではないか」と真剣に恐れ戦くのです。


そこで次には、そうしたいわれのない不安や恐怖を解くために、動物や人間をつかって、長時間不眠を起こさせた実験(これを断眠といいます)を紹介し、その影響と危険性の実態をたしかめようと思います。


・・・人間や動物から睡眠を奪ったらどうなるか、ということは甚だ興味ある問題です。


これについての最初の動物実験は、1894年マナセーヌが仔犬を使って行なったものです。


彼は仔犬を4~6日間強制的に眠らせぬようにしたところ、いちじるしい体温の下降、赤血球の減少(後には血液が濃縮したために増加しました)を示し、ついに死亡しました。


それを解剖したところ、大脳灰白質の毛細血管が破れて出血を起こしていたといいます。


その5年後にタロッチが、3匹の成犬を立てつづけに歩かせて断眠の実験をしています。

寝台の文明 4

ピレンヌが「メロヴィング王後の者たちの牛車」と呼んだ『シャルルマーニュの生涯』の著者である伝記作家であるアインハルトの一節に付された注によって、「無為徒食の王」という響きの悪い形容がどこに源を発しているかがわかります。


アインハルトが彼の著作の第一章で、そうした記述をしているために、メロヴィング王朝の最後の王たちに対し、近代の歴史家たちはこの不当な形容詞を当てはめたのです。


アインハルトの著作中では、王たちは、宰相によっていっさいの権力を剥奪され、さらには、貧困にあえぎ、小農地所有者のように田舎染みた生活を送っているほど品位なく描かれています。


「古代フランスの政治史」中では、アインハルトの記述が正確さを欠き、誇張が入り過ぎていることを指摘しました。


まだ羽毛 布団がなかったような古い時代の話ですが。


しかし、それが、アインハルトの明らかに調刺好きの性格によって、故意に導入されたものであることには気づきませんでした。


栄えあるシャルルマーニュ家によって追放された、哀れな領王たちをアインハルトがからかい、彼らをグロテスクな者として描いたのはあきらかでしょう。

寝台の文明 3

最後の執事であったオルレアン公、シャルル・ド・フランスの死後、1545年に執事の職は廃止され、代わって「部屋付きの四人の貴族侍従」という職になりました。


侍従職のほうは、大革命で消えましたが、第一帝政ーナポレオンはタレイランに大侍従の称号を与えていました。


第二帝政、王政復古の時代には再び設けられています。


メロヴィング王朝に話を戻すと、初等教育で語られる国民的欠陥の描写・・・


「無為徒食の王」と私が名付けたものを耳にするにつけ、わたしたち皆が抱いていた神話の崩壊という悲しみを、読者諸氏とともに分かたねばならないでしょう。


私にとって怠惰は、従うべき手本ではなかったものの、少なくとも一つの哲学であり、フランス史の中のこうした「憲例」には、秘かにではありますが絶えず敬服していました。


ここでは、アンリ・ピレーネの著作のおかげで、数世紀にわたる誤謬を正し、彼らの名誉を挽回することができます。


東洋羽毛工業がなかった時代の話ですが、なかなか興味深いものがあります。


寝台の文明 2

13世紀初頭、モンスでは、エノーの大執事の下役である〈カメラリウス〉の、また下役である「小執事」は、寝室と、そこにしまわれている貴重な品々を見張ることになっていました。


それゆえ、「衣装」や織物の責任を持ち、「宮廷全体の」寝台も組み立てる義務を負っていました。


これらの寝台の大部分は、毎晩、広間に用意されていました。


また、小執事は、自分の上役が伯爵や伯爵夫人に差し出す水を準備し、自分自身は聖職者や騎士に、食事の前に手を洗う水を渡していました。


金銭の運用を役目としていたと思われる正式の執事の監督のもとで、小執事は蝋燭を作って分配していました。


それはとりわけ、パンの中に差し込んで、伯爵と伯爵夫人と陪膳が食卓についているときに、彼らだけを照らし出す蝋燭でした。


14世紀には第一侍従は「大侍従」という称号を得て、その権威を示すものとして、二つの金の鍵を持っていました。


そして、特権として、王の目覚めにシャツを差し出し、羽毛 掛け 布団のある寝室と衣装部屋を視察し、王のところに表敬に来た諸侯のマントを受け取る権利、「侍従権」を有していたのです。


寝台の文明

正確な年代のわかっている2つの出来事・・・


メロヴィング王朝(フランク族サリ支族の一部族長の名、メローヴィスに由来する)の時代は、歴史学者から誤って糾弾された「野蛮な夜」ではなく、後の中世を準備する過渡期でした。


文明人と野蛮人との矛盾を誇張し過ぎてはならないとしても、両者の融合は、実際非常に独創的な文明を創りあげました。


最も重要な刷新の中でも、〈フランク人の王〉が誕生したことにより、様々な封土やいく人もの宰相を超えて、統一性が存在することが確証されます。


多少遊牧民的であった王は、召使や大廷臣のいる宮殿に住まい、彼らとともに移動します。


食卓の差配をしている陪膳や、地下の酒蔵をとりしきる酒司といった役職のなかで、わたしたちがとどめているのは執事だけです。


執事は侍従(フランク語ではカメリング)の補佐を受け、最初は、王の寝室の面倒を見るたんなる召使でした。


君主の間近で暮らしていたため、この廷臣の職は次第に重要性を帯び、寝台の職務を他に譲犠記録や、王の財務に従事するようになりました。


その結果執事という職務は、最も著名な家系の者たちから引っ張りだことなります。


まだ羽根 布団 通販のなかった13世紀以降はこの役職は名誉職となっています。


睡眠が必要ないという人

イギリスのラフバラ大学人間科学部の睡眠研究者レイ・メディス博士は、眠らなくてもよい人をみずから探し、巌密な検査をして、無眠者の存在を立証しました。


「一睡もしない」と主張している人でも、脳波で調べると実際にはかなり眠っています。


しかし、夜中にしょっちゅう目が覚めるので睡眠の質が悪く、眠った気がしないのが真相のようですから、自分の研究室に泊りこみで一週間滞在してもらい、終日監視つきで脳波を測って調べたのです。


それによると、羽根 布団でまったく眠らない夜もあれば100分間つづけて眠る夜もあって、一夜の平均睡眠時間が約1時間となりました。


・・・こんなふうに、睡眠時間がわずかであるにもかかわらず、健康で活発に、社会に貢献しながら生活している人たちが確かに実在するようです。


この人たちが不眠症患者とちがうところは、眠気がないので眠ることに興味がなく、眠らなくても困らないことです。


ある無眠者が日記のかたちで記録した睡眠時間は、2週間で合計101分。


つまり一夜あたり8.4分しかありません。

無眠者

不眠をこぼす人は多いのですが、広い世の中には高級 羽毛 布団でほとんど眠らなくても大丈夫だという人がいます。


しかも、当人はすこぶる健康で、ふつうの人が寝ている時間も休まず、活発に仕事をつづけています。


こういう人たちを「無眠者」と呼びます。


私の旧い友人にドイツ人の生理学者がいます。


この人との長い付き合いのなかで、私はかれの家に延べ150日以上も滞在しています。


そのあいだ、かれが長時間眠ったのを見たことがありません。


本人も家族も、そのことを裏づけています。


この人は、大学の実験室も自宅も自分で建てたという体力と技能に恵まれるだけでなく、家庭菜園をつくり、ウサギやミツバチを飼い、絵を画き、来客をもてなし、フルートを吹き、ビオラダガンバを演奏します。


片言が喋れる外国語は十指に余ります。


専門の仕事もたいへん忙しい人で、睡眠をふくむ多彩な研究や教育のほか、招かれて国内や国外に講演に出かけることがしばしばです。


家族は音楽一家として有名で、親子7人で方々を訪問してルネサンスからバロック期の音楽を教会や学校で演奏しています。


講演や演奏のための旅行には大きな車で出かけ、自分で運転して、ふつう夜中に数百キロも走ります。


私も何度か同乗しましたが、2時間くらいの間隔で途中車を停め、座席で10分ほど仮眠するだけです。


これで眠気と疲労が消えるそうです(ちなみに、英語でもドイツ語でも眠気と疲労とは同じ単語を使います)。


ですから、この人は無眠者の一人ではないかと私は考えています。