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布団あれこれ アーカイブ

わたしの布団はいい布団

こんにちは。


これから睡眠や布団などに関する話題中心のブログをやっていきます。


どうぞよろしくお願いします。


現代社会には生物リズムを整える同調因子ばかりでなく、これを乱す同調因子もたくさんあります。


たとえば、都会の夜を照らす人工照明は、外界の明暗周期とかならずしも同調していません。


ヒートアイランドとなった大都市、そして空調の完備した室内は、寒暖の日周リズムを失わせています。


私たちの体内時計は自然のルールを逸脱した人工的な外界時計に、歩調をうまく合わせられるとはかぎりません。


こんな体内外の時計のあいだの微妙な食いちがいが、社会生活への不適応現象の引金となることがあります。


日中に眠気が残るけれども夜は眠れない・・・


という、いわゆる不眠症をはじめとするさまざまな睡眠障害がクローズアップされるゆえんです。

フリーランリズム

このような社会的規制から逃れることができるなら、私たちは勝手に寝起きするでしょうか。


生まれたての赤ちゃんや高齢者には、社会の活動リズムは適用されません。


この年齢層には独特の休息パターンがありますが、これについてはのちに述べることにしましょう。


では、若い成人のばあいはどうでしょうか。


たとえば、社会的な時間の拘束のない環境で生活するとします。


深い地下濠の中とか、白夜の夏の極地とかで、時計なしの生活をさせると、ヒトの活動リズムはしだいに間延びしてきます。


つまり、私たちの生物時計は、外界リズムで正確に24時間に修正されないかぎり、1日を約25時間とみなしているのです。


ほかの動物でも類似の現象がみられます。


餌や水はいつでも摂れるようにしておいて、一定の明るさを保っておくとか、つねに暗黒のままにおくとかの条件で動物を飼育すると、たいてい24時間より数時間だけ長いか、あるいは短い周期で、規則的な活動-休息リズムが現れます。

睡眠の信号

同調因子のない環境あるいは同調因子が当てにならない環境で現れるこのようなサーカディアンリズムは、「フリーランリズム」(自由継続リズム)と呼ばれ、生物時計の性質を調べる重要な手がかりとみなされています。


フリーランリズムをもつことで、生体は環境のリズムに容易に同調し、適応できるつくりになっているといえましょう。


これは生体のもつ、たいへん巧妙で柔軟な性質の一つに数えられます。


・・・そんなわけで、私たちの寝起きのリズムは、社会の束縛から解かれてもサーカディアンリズムの影響を免れることはできません。


いっぽう、時間の拘束がないと、ヒトはもっと小きざみに眠るようになります。


つまり、毎日一回昼寝するようになるのです。


したがって、たとえ外部環境の日周性あるいは規則性が失われてしまっても、生物時計による生体独自のリズムに従って、私たちは活動と休息とを交互にくりかえすことができます。


日周性の社会活動に適応するためにたいせつなのは、フリーランリズムと社会リズムとのあいだのずれが修正できる状態にある、ということができます。


たいていのばあい、外界リズムは頼りになりますから問題ないのですが、社会リズムが日周性を失って不自然なふるまいをすると、面倒なことになります。


現代社会では社会時計が絶対優位ですから、「自然破壊」が脳内でおこるかもしれないのです。

眠気のサーカディアンリズム

現代の人工的な文明社会にあっては、生物時計の定型的なはたらきは、時差ぼけやジェットラグの原因として、むしろ厄介視されるはめになってきたのは、たいへん皮肉なことです。


さて、このような事実から、私たちの身体は、昼寝を一回、夜寝を一回しながらほぼ一日の周期で生活するのに適したつくりになっていることがわかります。


・・・言い換えれば、眠気のリズムにはほぼ一定のリズムがあり、そのなかにまたほぼ半日のリズムがあるということになります。


昼食後にすこし眠くなり、夜半にかけてぐっと羽毛 布団で眠くなり、朝になると自然に目が覚めるのは、眠気のリズムが半日の周期で変動しているからです。


すでに記したように、睡眠と覚醒のリズムは、生物に普遍的にみられる活動と休息のリズムから派生してきたものです。


ですから、一日の時刻の影響を強く受けています。


体温リズムは、活動と休息のリズムの典型で、活動的に高く、休息期に低くなります。


これに連動して、起きていやすい時刻と眠っていやすい時刻があることは、あきらかです。


また、リズムのピークによる時刻には、個人差がありますから、朝型(ひばり型)と宵型(ふくろう型)とを区別することができます。

生物時計と睡眠の関係

生物時計の支配については、つぎのような実験からも証明できます。


成人を被験者にして、1日のあいだ15分間隔で、眠くもないのに被験者を羽毛 ふとんのベッドに横たわらせ、むりやり眠らせようとして、どれだけ成功したか、という実験があります。


眠ってしまっても、15分間のうち7分しか眠りは許されないという条件つきです。


・・・すると、深夜の午前零時ごろと昼過ぎの午後零時のあたりに深い眠りが出現します。


被験者を15分間隔でベッドに横たわらせ、眠いのを我慢して、むりやり起きていさせようとして、どれだけ失敗したか、という実験でも、やはり同じ時間帯に深い眠りが出現します。


こんな現象も、あらかじめ人体に組みこまれている睡眠プログラムによって発現するとみなせましょう。


この実験では、さらに、20時から22時をはさんで、眠りやすさが劇的に増加することがわかりました。


また、起きているのがこの時間帯を境にきわめて困難になるのです。


このことから、この時間帯が、いわば覚醒と睡眠とのスイッチの切り換えられる時刻であると考えられます。

リズム障害と眠気

眠気のリズムが生物時計のリズムと密接に関連があることは、自然な条件ではたいへん巧妙に機能するのです。


しかし、特殊な条件ではかならずしも生体に好都合とはかぎりません。


眠気のリズムと社会リズムとの不一致は、時差ぼけにもっともよく現れます。


時差ぼけは生物時計の時刻と外界の時刻とがずれたため、ほんらいの休息期に活動を強いられたり、ほんらいの活動期に休息を強いられたりすることから生ずる現象です。


時差ぼけの問題は、多数の人がジェット機で大陸間旅行をしたり、交替勤務を体験するようになってからたいへん身近かなものとなりました。


いっぽう、自閉症、登校拒否、家庭内暴力など、こどもが社会的にうまく適応できないことも、生物時計と社会時計との非同期現象という観点から理解できるといわれます。


さらに、病気としての睡眠と覚醒のリズム障害は、生物時計が自然環境あるいは社会機構の日周リズムに同期できないことから生じるもので、いわば慢性の時差ぼけです。


睡眠相遅延症候群と呼ばれる疾患がそれで、羽毛 フトンでの入眠も起床もたいへんむずかしくなります。


体内時計のリズムが独走(フリーラン)して、社会時計に同調しないので、そのずれからいろいろな摩擦を生じ、社会に適応できなくなるのです。

眠気には個人差がある

注意力のレベルと睡眠-覚醒のリズムとはかならずしも同期していないという報告があります。


たとえ羽毛 布団 販売で購入したいい布団でも生物時計の支配からの脱却はむずかしいのです。


また、体温の日周リズムと睡眠-覚醒リズムとは、日常生活では密接な相互関係にあるようです。


したがって、体温が下がりかける時期に眠るのが私たちの習慣ですが、時差ぼけを伴う大陸旅行や交替勤務のもとでは、体温リズムと睡眠-覚醒リズムとは分離してしまうことがあります。


また、食事のリズムで生物時計を人為的に補正できなくはありません。


・・・このような事実は、睡眠が生物時計の支配から、部分的ながら、脱却する可能性を示すものではないでしょうか。

短眠者と長眠者

私たちの日々の眠気とそれにもとづく睡眠時間はだいたい一定しています。


統計的には、ほとんどの成人が1日に6~9時間を寝床ですごしています。


しかし、世の中にはあまり眠らなくても元気な人もいますし、人並み以上に眠らないと調子の出ない人もいます。


フランス皇帝ナポレオン一世の短眠はあまりにも有名です。


いっぽう、物理学者アルバート・アインシュタインは有名な長眠者で、あの相対性理論もベッドの中で思いついたのだといわれます。


毎日規則的に9時間以上寝る人のことを「長眠者」。


6時間以下しか寝ない人のことを「短眠者」と呼びます。


アメリカの精神医学者アーネスト・ハルトマン博士によると、短眠者は楽天家でくよくよせず、ものごとを単純に割り切るステレオタイプの人に多く、長眠者は神経質で悩みながら創造的な仕事をする人に多い、とのことです。


しかし、寝床のなかですごす時間はちがっても、実際には眠っている時間に両者でそんなに差があるものではなさそうです。


すくなくとも深いノンレム睡眠の量は同じだ、という報告がいくつかあります。

睡眠時間の個人差

睡眠時間は人によりほぼ一定しているとはいっても、状況しだいで可変です。


長眠者が短眠者になることもあれば、その逆もあります。


総理府やNHKの調査によれば、日本人の平均睡眠時間は年ごとに短くなる傾向があるとのことです。


1986年の統計によれば、日本人の平均睡眠時間は7時間47分で、10年まえより18分短縮しています。


就寝時刻も約30分遅くなって、23時前後になっています。


これは羽毛 布団 通販の有無にかかわらず、忙しい現代にあっては、この傾向はとうぶんつづくでしょう。


非常時には、睡眠時間はもっと縮みます。


入学試験を控えた受験生は、睡眠時間を切り詰めて勉強しています。


海や山で遭難し運よく生還した人は、何日も眠りをこらえて頑張った、と語っています。


自分の将来や生死とまともに向かい合うような緊急のとき、睡魔を追い払うぐらいの気力は出るものです。


・・・このように、誰でも必要ならば、意志の力で眠気を抑制し、かなり睡眠を犠牲にして起きつづけることができます。


また、暇のあるときはたっぷり眠ります。


日本の都会サラリーマンは、週日には仕事や付き合いで寝不足がちなので、週末に朝寝坊や昼寝で埋め合わせをしている、という調査結果を東京慈恵会医科大学の佐々木教授らが報告しています。

寝すぎても寝なくてもダメ

ふつうの生活をくりかえしていても、布団 羽毛の寝床ですごす時間が長い人と短い人とがいることは、眠気の抑制あるいは眠気の解消には個人差がある、ということを意味します。


ちなみに、そのちがいが死亡率に反映されるというショッキングな報告にふれておきましょう。


これはアメリカの研究者グループが、6年にわたる追跡調査の結果、あきらかにしたものです。


睡眠量と死亡率とのあいだには明瞭な相関関係があります。


7~8時間眠る人で死亡率はもっとも低くなります。


短眠者も長眠者も、死亡率が高くなる傾向がみられます。


持病があるために、眠気が多い(すくない)のでしょうか。


逆に、眠気が多い(すくない)から、病気になりやすいのでしょうか。


・・・この困果関係ははっきりしません。


いずれにせよ、これはたいへん示唆に富むデータということができましょう。

無眠者

不眠をこぼす人は多いのですが、広い世の中には高級 羽毛 布団でほとんど眠らなくても大丈夫だという人がいます。


しかも、当人はすこぶる健康で、ふつうの人が寝ている時間も休まず、活発に仕事をつづけています。


こういう人たちを「無眠者」と呼びます。


私の旧い友人にドイツ人の生理学者がいます。


この人との長い付き合いのなかで、私はかれの家に延べ150日以上も滞在しています。


そのあいだ、かれが長時間眠ったのを見たことがありません。


本人も家族も、そのことを裏づけています。


この人は、大学の実験室も自宅も自分で建てたという体力と技能に恵まれるだけでなく、家庭菜園をつくり、ウサギやミツバチを飼い、絵を画き、来客をもてなし、フルートを吹き、ビオラダガンバを演奏します。


片言が喋れる外国語は十指に余ります。


専門の仕事もたいへん忙しい人で、睡眠をふくむ多彩な研究や教育のほか、招かれて国内や国外に講演に出かけることがしばしばです。


家族は音楽一家として有名で、親子7人で方々を訪問してルネサンスからバロック期の音楽を教会や学校で演奏しています。


講演や演奏のための旅行には大きな車で出かけ、自分で運転して、ふつう夜中に数百キロも走ります。


私も何度か同乗しましたが、2時間くらいの間隔で途中車を停め、座席で10分ほど仮眠するだけです。


これで眠気と疲労が消えるそうです(ちなみに、英語でもドイツ語でも眠気と疲労とは同じ単語を使います)。


ですから、この人は無眠者の一人ではないかと私は考えています。

睡眠が必要ないという人

イギリスのラフバラ大学人間科学部の睡眠研究者レイ・メディス博士は、眠らなくてもよい人をみずから探し、巌密な検査をして、無眠者の存在を立証しました。


「一睡もしない」と主張している人でも、脳波で調べると実際にはかなり眠っています。


しかし、夜中にしょっちゅう目が覚めるので睡眠の質が悪く、眠った気がしないのが真相のようですから、自分の研究室に泊りこみで一週間滞在してもらい、終日監視つきで脳波を測って調べたのです。


それによると、羽根 布団でまったく眠らない夜もあれば100分間つづけて眠る夜もあって、一夜の平均睡眠時間が約1時間となりました。


・・・こんなふうに、睡眠時間がわずかであるにもかかわらず、健康で活発に、社会に貢献しながら生活している人たちが確かに実在するようです。


この人たちが不眠症患者とちがうところは、眠気がないので眠ることに興味がなく、眠らなくても困らないことです。


ある無眠者が日記のかたちで記録した睡眠時間は、2週間で合計101分。


つまり一夜あたり8.4分しかありません。

寝台の文明

正確な年代のわかっている2つの出来事・・・


メロヴィング王朝(フランク族サリ支族の一部族長の名、メローヴィスに由来する)の時代は、歴史学者から誤って糾弾された「野蛮な夜」ではなく、後の中世を準備する過渡期でした。


文明人と野蛮人との矛盾を誇張し過ぎてはならないとしても、両者の融合は、実際非常に独創的な文明を創りあげました。


最も重要な刷新の中でも、〈フランク人の王〉が誕生したことにより、様々な封土やいく人もの宰相を超えて、統一性が存在することが確証されます。


多少遊牧民的であった王は、召使や大廷臣のいる宮殿に住まい、彼らとともに移動します。


食卓の差配をしている陪膳や、地下の酒蔵をとりしきる酒司といった役職のなかで、わたしたちがとどめているのは執事だけです。


執事は侍従(フランク語ではカメリング)の補佐を受け、最初は、王の寝室の面倒を見るたんなる召使でした。


君主の間近で暮らしていたため、この廷臣の職は次第に重要性を帯び、寝台の職務を他に譲犠記録や、王の財務に従事するようになりました。


その結果執事という職務は、最も著名な家系の者たちから引っ張りだことなります。


まだ羽根 布団 通販のなかった13世紀以降はこの役職は名誉職となっています。


寝台の文明 2

13世紀初頭、モンスでは、エノーの大執事の下役である〈カメラリウス〉の、また下役である「小執事」は、寝室と、そこにしまわれている貴重な品々を見張ることになっていました。


それゆえ、「衣装」や織物の責任を持ち、「宮廷全体の」寝台も組み立てる義務を負っていました。


これらの寝台の大部分は、毎晩、広間に用意されていました。


また、小執事は、自分の上役が伯爵や伯爵夫人に差し出す水を準備し、自分自身は聖職者や騎士に、食事の前に手を洗う水を渡していました。


金銭の運用を役目としていたと思われる正式の執事の監督のもとで、小執事は蝋燭を作って分配していました。


それはとりわけ、パンの中に差し込んで、伯爵と伯爵夫人と陪膳が食卓についているときに、彼らだけを照らし出す蝋燭でした。


14世紀には第一侍従は「大侍従」という称号を得て、その権威を示すものとして、二つの金の鍵を持っていました。


そして、特権として、王の目覚めにシャツを差し出し、羽毛 掛け 布団のある寝室と衣装部屋を視察し、王のところに表敬に来た諸侯のマントを受け取る権利、「侍従権」を有していたのです。


寝台の文明 3

最後の執事であったオルレアン公、シャルル・ド・フランスの死後、1545年に執事の職は廃止され、代わって「部屋付きの四人の貴族侍従」という職になりました。


侍従職のほうは、大革命で消えましたが、第一帝政ーナポレオンはタレイランに大侍従の称号を与えていました。


第二帝政、王政復古の時代には再び設けられています。


メロヴィング王朝に話を戻すと、初等教育で語られる国民的欠陥の描写・・・


「無為徒食の王」と私が名付けたものを耳にするにつけ、わたしたち皆が抱いていた神話の崩壊という悲しみを、読者諸氏とともに分かたねばならないでしょう。


私にとって怠惰は、従うべき手本ではなかったものの、少なくとも一つの哲学であり、フランス史の中のこうした「憲例」には、秘かにではありますが絶えず敬服していました。


ここでは、アンリ・ピレーネの著作のおかげで、数世紀にわたる誤謬を正し、彼らの名誉を挽回することができます。


東洋羽毛工業がなかった時代の話ですが、なかなか興味深いものがあります。


寝台の文明 4

ピレンヌが「メロヴィング王後の者たちの牛車」と呼んだ『シャルルマーニュの生涯』の著者である伝記作家であるアインハルトの一節に付された注によって、「無為徒食の王」という響きの悪い形容がどこに源を発しているかがわかります。


アインハルトが彼の著作の第一章で、そうした記述をしているために、メロヴィング王朝の最後の王たちに対し、近代の歴史家たちはこの不当な形容詞を当てはめたのです。


アインハルトの著作中では、王たちは、宰相によっていっさいの権力を剥奪され、さらには、貧困にあえぎ、小農地所有者のように田舎染みた生活を送っているほど品位なく描かれています。


「古代フランスの政治史」中では、アインハルトの記述が正確さを欠き、誇張が入り過ぎていることを指摘しました。


まだ羽毛 布団がなかったような古い時代の話ですが。


しかし、それが、アインハルトの明らかに調刺好きの性格によって、故意に導入されたものであることには気づきませんでした。


栄えあるシャルルマーニュ家によって追放された、哀れな領王たちをアインハルトがからかい、彼らをグロテスクな者として描いたのはあきらかでしょう。

不眠症の見分け方

過去何年間もほとんど寝ておりません、と言いながら、血色がよく、食欲旺盛で、仕事の能率のよい人がいます。


これは明らかに第2種の不眠症で、しかも実際以上に不眠を恐れ、自己の故障を過大に感じる不眠ノイローゼです。


こうした人々に限って「これほど羽毛 ふとんで眠れなければ内臓がおかされて、死ぬのではないか」と真剣に恐れ戦くのです。


そこで次には、そうしたいわれのない不安や恐怖を解くために、動物や人間をつかって、長時間不眠を起こさせた実験(これを断眠といいます)を紹介し、その影響と危険性の実態をたしかめようと思います。


・・・人間や動物から睡眠を奪ったらどうなるか、ということは甚だ興味ある問題です。


これについての最初の動物実験は、1894年マナセーヌが仔犬を使って行なったものです。


彼は仔犬を4~6日間強制的に眠らせぬようにしたところ、いちじるしい体温の下降、赤血球の減少(後には血液が濃縮したために増加しました)を示し、ついに死亡しました。


それを解剖したところ、大脳灰白質の毛細血管が破れて出血を起こしていたといいます。


その5年後にタロッチが、3匹の成犬を立てつづけに歩かせて断眠の実験をしています。

とある断眠実験

イヌたちは体温が下がって、それぞれ9日、13日、それから17日目に死んでしまいました。


しかし、解剖の結果では、貧血も脳血管の出血も示さなかったといいます。


その代り、大脳皮質、ことに前頭葉の脳細胞の病的変化が見つかったのです。


この実験は羽毛 フトンでの睡眠にとても役立つものです。


その後ある博士も、木箱の内面にたくさんの尖った釘を打ちつけ、その中にイヌを入れ、このようにして断眠されたイヌの大悩こ同柔の細泡変ヒを見出しています。


しかし、この問題について1番大きな彼らは20匹のイヌを使って30時間から505時間にわたる断眠実験をしました。


その期間中イヌはみな元気活発で、よく食べ、血液、血圧、脈搏、呼吸数や体温には変化がなかったのです。


ただ筋肉の緊張度が低下して、頭がダラリと垂れ下がりました。


イヌが嗜眠状態になったときに発して解剖してみると、脳の一定部位(前前頭葉皮質の深部)の神経細胞の変性が見つかりました。


この変化はイヌの嗜眠の度に比例しますが、イヌが1度ぐっすり眠ると、あとかたなく癒るといいます(可逆性変化)。


とある断眠実験 2

このような嗜眠のひどいイヌの脳脊髄液をとって正常犬の第4脳室に注射すると睡眠が伝染すると発表して、人をおどろかせました。


それから、クレイトマンも12匹の仔犬を使って、48時間から228時間にかけて断眠し、同時に詳しい生理学的観察をしましたが、共通してみられたのは赤血球数の減少(25パーセントにおよぶ)でした。


断眠が3~4日間つづくと、犬は周囲に対して無関心になり、光を恐れて暗闇に逃げかくれ、だんだん嗜眠がひどくなって筋力が弱まり、前肢を折りまげてうずくまるようになります。


そこで実験を中断して熟睡させると、10匹は次の日すっかり回復しましたが、2匹は昏睡状態のまま死亡しました。


断眠犬の病理解剖をしてみると、脳の変化は一定せず、対照実験に使った正常犬の脳と同じであったといいます。


要するに昔考えていたように、断眠によって動物が死ぬかどうかは大いに疑問があります。


これには羽毛 布団 販売をしている睡眠のプロである会社も同意見です。


死ぬのは不眠そのものの結果でなくて、眠らせないための実験手技(犬をひどく、また、長くつついたり、連続して歩かせるなど)による衰弱の結果であろうと推測されています。


しかし、この点では個体差が大きいですね。


大学教授の不思議な夢

アメリカのペンシルベニア大学のハーマン・V・ヒルプレスト教授は、夢の中で解読した古代バビロニアの碑文を手がかりに、古代史の謎を解き明かしたことで知られています。


それにしても当時の模様を再現すると、それはまさに奇跡的な事実だった窮です。


1893年のある日、ヒルプレストは夜遅くまで研究に没頭していました。


璃璃の2つの小さいかけらに描かれた模形文字を解読しようとしていたのです。


しかし、なかなか解読できないまま時間だけが過ぎていき、明け方近くになっていました。


ここでヒルプレストは羽毛 布団のなかで深い眠りにつき、あの「奇跡の夢」を見たのです。


「古代バビロニアの神殿にある宝物殿に導かれて、私は天井の低いある部屋に入った。


そこには木製の櫃があり、床に瑞璃や青金石のかけらが散らばっていた。


ここに案内してくれた神官が私に次のように告げた。


『クリガルズ王(前1300年ころ)は神殿にさまざまな珊璃や青金石の品々を奉納したが、その中には珊堰製の円筒印章も含まれていた・・・。」

大学教授の不思議な夢 2

「その後、王から神像に供える璃噛の耳飾りを作るよう、神官に命が下ったのだが、瑞噛の手持ちがない。


そこで、あの円筒印章を3つに切り、三つ耳輪を作ったのだが、それぞれには円筒印章に刻まれていた碑文の一部が残ったのだ。


一対の耳輪は神様の耳飾りになり、その2つのかけらがお前を惑わしているわけだ。


2つを合わせてみればわしの言葉に偽りがないことが確かめられよう。


しかし、3つめの輪は今後も見つかりはすまい』


・・・神官はこういって姿を消していった」


ヒルプレストは翌朝、夢の啓示に従い、あの璃璃のかけらをあらためて見ました。


すると、その円筒印章の碑文には「主神バールの息子ニヌルタ神へ、バール神の大神官クリガルズこれを捧ぐ」と刻まれていたのでした。


ヒルプレストはまもなくしてコンスタンチノープルの博物館に出向きました。


璃璃のかけらの現物がここに保存されていたからです。


博物館では、2つのかけらはまったく別々のものと考えられていたため、別々のケ支に収められていましたが、調べてみるとなんと2つのかけらがぴったり合わさったのでした。


タイムスリップするように夢の中で太古の史実に遭遇したわけですから、人間ワザではなく心霊ワザだと考えるほかなかったでしょう。


・・・不思議な夢の内容は、1896年に「心霊研究会報」に初めて発表されたといわれています。


こうした不思議な話はまだ布団 羽毛がなかった時代に数多く残されているのです。


夢の中で作曲したタルティーニ

18世紀イタリアの名バイオリン奏者で作曲家のジュゼッペ・タルティーニが、21歳のときのことです。


徹夜で作曲の仕事に取り組んでいたためか、ある日の夕刻突然すごい睡魔に襲われ、とりあえず寝床に横になったのですが・・・。


タルティーニはまもなく夢の中で不思議な体験をしたのです。


夢の中に悪魔が現われ、その悪魔に愛用しているバイオリンを手渡すと、今度は悪魔が絶妙なソナタを完璧な技法で奏でるというものでした。


夢の中でタルティーニは感嘆の声をあげ、その素晴らしい曲調と演奏に聞き入っていたといいます。


タルティーニはやがて、幻想と甘美と壮麗さに満ちた音の世界から目を覚まします。


そして、今度はみずからが愛用のバイオリンを手にして、あの悪魔の曲を奏でたといいます。


これがタルティーニの代表曲である『悪魔のトリル』の有名な誕生秘話です。


夢の中で聞こえてきた曲は、きっとタルティーニ本人が眠りながら作曲したものでしょう。


しかし、羽毛 ふとんで眠っていた間にみた夢というつかのまの出来事であり、断片的な記憶しか残っていなかったためかもしれません。


・・・タルティーニはこの曲のすべてを五線譜に再現することはできませんでした。

夢の中で作曲したタルティーニ 2

「わたしが作曲した『悪魔のトリル』は最良の曲だが、あの夢の中で聞いたソナタにははるかに及ばなかった」


・・・タルティーニはそう述懐し、悔やんだそうです。


こういった不思議な話はほかにも残されています。


イギリスの詩人サミュエル・テイラー・コールリッジ(1772~1834)が26歳のとき体験した夢の話も、その一つです。


イングランドの西部の片田舎で読書をしていたコールリッジは、阿片チンキのグラスを飲み干すと、その場でうたた寝をしてしまいました。


このとき夢の中で脈々と流れてきた詩が有名な長詩『クビライ汗』の一節だったという話です。


コールリッジによると、この夢の中で浮んだ詩は、200行ないし300行もあったといいます。


しかし、夢から覚めた彼が実際に書き綴ったのはその4分の1程度で、残りの大半は、これを書きとどめていたときに訪ねてきた来客の出現で忘れ去ってしまったのでした。


イギリスの画家で詩人のウィリアム・ブレイク(1757~1827)も、これと同じような体験をしています。


体験したときの年齢は定かでありませんが、自作の詩集を彫版にしようと思い、割安な方法をあれこれ考えていたとき、死んだ弟が夢に現われ、その方法を教えてくれたというものです。


それは当時としては画期的だった特殊な浮き彫り銅板を使う方法であり、ブレイクはこれによって首尾よく当初の目的を果たせたのでした。


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