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2011年01月 アーカイブ

寝台の文明 2

13世紀初頭、モンスでは、エノーの大執事の下役である〈カメラリウス〉の、また下役である「小執事」は、寝室と、そこにしまわれている貴重な品々を見張ることになっていました。


それゆえ、「衣装」や織物の責任を持ち、「宮廷全体の」寝台も組み立てる義務を負っていました。


これらの寝台の大部分は、毎晩、広間に用意されていました。


また、小執事は、自分の上役が伯爵や伯爵夫人に差し出す水を準備し、自分自身は聖職者や騎士に、食事の前に手を洗う水を渡していました。


金銭の運用を役目としていたと思われる正式の執事の監督のもとで、小執事は蝋燭を作って分配していました。


それはとりわけ、パンの中に差し込んで、伯爵と伯爵夫人と陪膳が食卓についているときに、彼らだけを照らし出す蝋燭でした。


14世紀には第一侍従は「大侍従」という称号を得て、その権威を示すものとして、二つの金の鍵を持っていました。


そして、特権として、王の目覚めにシャツを差し出し、羽毛 掛け 布団のある寝室と衣装部屋を視察し、王のところに表敬に来た諸侯のマントを受け取る権利、「侍従権」を有していたのです。


寝台の文明 3

最後の執事であったオルレアン公、シャルル・ド・フランスの死後、1545年に執事の職は廃止され、代わって「部屋付きの四人の貴族侍従」という職になりました。


侍従職のほうは、大革命で消えましたが、第一帝政ーナポレオンはタレイランに大侍従の称号を与えていました。


第二帝政、王政復古の時代には再び設けられています。


メロヴィング王朝に話を戻すと、初等教育で語られる国民的欠陥の描写・・・


「無為徒食の王」と私が名付けたものを耳にするにつけ、わたしたち皆が抱いていた神話の崩壊という悲しみを、読者諸氏とともに分かたねばならないでしょう。


私にとって怠惰は、従うべき手本ではなかったものの、少なくとも一つの哲学であり、フランス史の中のこうした「憲例」には、秘かにではありますが絶えず敬服していました。


ここでは、アンリ・ピレーネの著作のおかげで、数世紀にわたる誤謬を正し、彼らの名誉を挽回することができます。


東洋羽毛工業がなかった時代の話ですが、なかなか興味深いものがあります。


寝台の文明 4

ピレンヌが「メロヴィング王後の者たちの牛車」と呼んだ『シャルルマーニュの生涯』の著者である伝記作家であるアインハルトの一節に付された注によって、「無為徒食の王」という響きの悪い形容がどこに源を発しているかがわかります。


アインハルトが彼の著作の第一章で、そうした記述をしているために、メロヴィング王朝の最後の王たちに対し、近代の歴史家たちはこの不当な形容詞を当てはめたのです。


アインハルトの著作中では、王たちは、宰相によっていっさいの権力を剥奪され、さらには、貧困にあえぎ、小農地所有者のように田舎染みた生活を送っているほど品位なく描かれています。


「古代フランスの政治史」中では、アインハルトの記述が正確さを欠き、誇張が入り過ぎていることを指摘しました。


まだ羽毛 布団がなかったような古い時代の話ですが。


しかし、それが、アインハルトの明らかに調刺好きの性格によって、故意に導入されたものであることには気づきませんでした。


栄えあるシャルルマーニュ家によって追放された、哀れな領王たちをアインハルトがからかい、彼らをグロテスクな者として描いたのはあきらかでしょう。

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